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「源氏物語」の作者の意図を探る~光源氏と女性たちへの「数まふ」の使用から~全文

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「源氏物語」の作者の意図を探る
~光源氏と女性たちへの「数まふ」の使用から~全文

田村 惠子

2014年3月國學院大學北海道短期大学部国文学会 滝川国文第30号(一部掲載)

源氏物語絵巻

目 次

  • はじめに
  • 第一章「数まふ」の用例について
  • 第二章 明石の君一家についての「数まふ」
  • 第三章「数まふ」の使用とその使い分けに見る明石の君の立場の変化
  • 第四章 若紫の祖母尼君と六条御息所による「数まふ」
  • 第五章『源氏物語』における「遺言」の持つ意味
  • 第六章 麗景殿女御を通して見る花散里の「数まふ」
  • 第七章 光源氏の「数まふ」の対応
  • 第八章 光源氏の復権
  • 第九章「数まふ」から見る「澪標」巻の意義
  • 第一〇章「数まふ」の示唆するところ
  • おわりに
  • 参考文献一覧

はじめに

 私と『源氏物語』(以下『源氏』とする)との出会いは、三十数年前に遡る。その当時、私の印象に最も残った『源氏』は、桐壺帝が一人の更衣に向けた異例の寵愛でもなければ、光源氏の多数の女性達との恋愛遍歴でもなかった。そのような内容に全く興味がなかったという訳でもなかったのだが、なぜか、因果応報とも言うべき設定が心に残ったのだった。というのは、光源氏と最愛の女性である藤壺との間の不義の子を、そうとは知らない父、桐壺帝が我が子として抱くことになった。そして、そうさせた光源氏が、後には、自分の妻、女三宮と柏木との不義の子である薫を我が子として抱くことになるということである。人というものは、結局は自分でしたことのへの報いを受けるものであるのだろうかと考えると、物語の様々な人間模様を通して現代に生きる私たちにも共通する人間の性を問いかけてきているように思えたのだ。『源氏』の世界は私達に実に興味深く多くの事柄を語りかけていると、物語の面白さに漠然と思いを巡らせながら今日まで来ていたのである。その間に、私自身も妻になり、母になり、それぞれの役割を果たしながら年月を積み重ね、再び『源氏』と向かい合うことができる機会に恵まれたことは、本当に幸福な時間であり、これまで歩んできた私の人生における賜物かもしれない。

 そこで、この度、卒業論文を書くにあたり、これまでに自分なりに培ってきた視点で『源氏』を読んでみたいと思い、物語に登場する女性達の中でも「母」としての役割を持つ女性について着目したいと考えた。物語の中で、光源氏にとって「母」である女性たちが、どのような重要性を秘めているのかを明らかにしようと、私の『源氏』との対話が始まったのである。

 まず、着目したのが、桐壺更衣とその母北の方であった。そして、藤壺とその母、若紫とその母といった具合に、物語には多くの母という立場の女性達が、娘に対してそれぞれの思いを持って登場していた。今までは、さほど注意も払うことなかった女性達が、視点を変えることによって、確かな存在感を放っていたのである。作者が彼女達に物語においてどのような役割を担わせているのかということについて読み進めていたところで、一つの言葉が目に止まったのである。「心細し」「心細げ」という言葉である。これらの言葉は、女性達が光源氏と関わっていく中で度々使われていた。また、光源氏自身にも多く使われているのである。私はこれらの言葉に作者の隠された意図があるのではないかという思いで、この言葉が誰が誰に対して、どのような場面で、どのように使われているのかを検証することにした。すると、またもや、もう一つの別の言葉に行き当たったのである。

 それが「数まふ」という言葉であった。この言葉が「心細し」「心細げ」と一緒に使われる女性達が存在する。そこに何かしら見えてくるものがあるとしたら、まず、「数まふ」という言葉が意味し、もたらしているものは何かを探ろうと思ったのである。そして、その言葉の背後に見え隠れする、作者の意図を、各々の用例を検証することによって、その示唆するところを明らかにすることから着手しなければならないと強く感じたのである。

 以上が、「数まふ」という語に着目しようと考えた理由である。

1.「数まふ」の用例について

 『源氏』いわゆる第一・二部桐壺巻から幻巻までの中に「心細し」という形容詞、及び「心細げ」という形容動詞が数多く使用されている。次の表に挙げるように、その数は八十数カ所にも及んでいる。

 「若紫」巻で若紫の祖母である尼君が、光源氏に
 「かならずかずまへさせたまへ。いみじう心細げに見たまへおくなん」(若紫P311)

と語った部分。

 また、「澪標」巻、六条御息所が光源氏に語った会話文中の
 「心細くてとまりたまはむを、必ず事にふれて数まへきこえたまへ」(澪標P300)

などがその例である。

 なぜ「心細し」を多く使っているのか、その理由を明らかにすべく、用例の調査を試みたところ、その過程で、「心細し」に併せて「数まふ」という言葉が、一緒に使われているということが浮かび上がって来た。

 これら二つの文は背景に、尼君と六条御息所の「死」という共通点がある。また、各々が孫と娘を光源氏に託すという類似する場面でもあるのである。

 これは、いったい何を意味しているのか。尼君と六条御息所が光源氏に言った言葉の中に使った「数まふ」に籠めた作者の意図は何なのか。「心細し」が『源氏』の中で果たしている役割を解明する上でも、この「数まふ」の問題を明らかにすることが作者の意図を明らかにするであろうとの考えに至った。

 『源氏』第一部・第二部の「数まふ」の全用例の調査結果を巻毎に整理して示すと、次の通りでる。

第 一 部 33帖
 本伝系17帖              別伝系16帖
  桐 壺   0              帚 木   0
  若 紫   1              空 蝉   0
  紅葉賀   0              夕 顔   0
  花 宴   0              末摘花   0
  葵     0              蓬 生   1
  賢 木   0              関 屋   0
  花散里   0              玉 鬘   2
  須 磨   1              初 音   0
  明 石   1(地の文)          胡 蝶   0
  澪 標   5              蛍     0
  絵 合   0              常 夏   1
  松 風   1              篝 火   0
  薄 雲   1              野 分   0
  朝 顔   1              行 幸   0
  少 女   0              藤 袴   0
  梅 枝   0              眞木柱   0
  藤裏葉   0
第 二 部
  若菜上   1
  若菜下   0
  柏 木   0
  横 笛   0
  夕 霧   0
  御 法   0
  幻     0

 以上から、「数まふ」は、一例を除いて本伝系に、これまた一例以外会話中に使われていることが分かる。更に、本伝系の「数まふ」は、明石の君、若紫、斎宮、花散里、明石の姫君、光源氏を対象にしていることも明らかとなった。別伝系は光源氏に一切関わらない上、用例も少ない。

 そこで本稿では、別伝系を対象外として、第一部本伝系と第二部に使われている「数まふ」の果たす役割について明らかにすることにしたい。

2.明石の君一家についての「数まふ」

 前項に挙げた調査の結果から、「澪標」2回、「松風」1回、「若菜上」1回、「明石」(地の文)1回に使われている「数まふ」は、明石の君に関する部分である。

A.「神も見入れ数まへたまふべきにもあらず」という心情

 いとはしたなければ、明石「立ちまじり、a数ならぬ身のいささかの事にせむに、神も見入れ数まへたまふべきにもあらず。帰らむにも中空なり。今日は難波に舟さしとめて、祓えをだにむ」とて、漕ぎ渡りぬ。(澪標P294・5)

 ここは、光源氏と明石の君が折しも時を同じくして、住吉に参詣した場面である。 明石の君は、身分ある光源氏一行の盛大さと人々の賑わいに遭遇して、対照的な我が身を思う。傍線a「数ならぬ身」とは、「取るに足りない身」「ものの数に入らない身」という意味である。そのような自分であると自覚し、対照的な源氏の華々しさを目の当たりにして、その違いに距離を感じているのである。

 ここでの「数まふ」は「神」という客観的な存在を持ち出して、神からも人の数にも数えてもらえない存在としての自分と、光源氏との距離を冷静に再確認している。

 作者は「数まふ」を使うことによって、明石の君自身が置かれている立場をしっかりと自覚している心情を語っている。

B.「いと頼もしげに、数まへのたまふめれど」の心情

 今や京におはし着くらむと思ふ日数も経ず御使あり。このごろのほどに迎へむことをのたまへる、「いと頼もしげに、数まへのたまふめれど、いさや、また、島漕ぎ離れ、中空に心細き事やあらむ」と思ひわづらふ。(澪標P298)

 ここでは、光源氏は帝より京へ戻ることが許されて、すでに明石の地を去っている。明石の地に残っている明石の君が、源氏の帰路に思いを馳せていると、都から使いが来た。その使いは、源氏が明石の君を近いうちに京に迎えるつもりでいることを告げた。

 ここでの「数まふ」は源氏の意向を指している。その意向とは、明石の君を京に移り住まわせて、自分の庇護下に置くこと。つまり、世話をしている妻達の一人として、その数の中に入れるということである。

 それに対して明石の君は、源氏の申し出に明石の島を離れて、波線aの両親にも源氏にも頼れない心細い事になるのではないかと、思い悩んでいる。

 作者は「数まふ」を使って、明石の君の本当に数に入れてくださるのだろうかという心情を語っている。

C.「かかる所に生ひ出で、数まへられたまはざらむ」の心情

 明石には御消息絶えず、今はなほ上りぬべきことをばのたまへど、女はなほわが身のほどを思ひ知るに、「こよなくやんごとなき際の人々だに、なかなかさてかけ離れぬ御ありさまのつれなきを見つつ、もの思ひまさりぬべく聞くを、まして何ばかりのおぼえなりとてかさし出でまじらはむ。この若君の御面伏せに、a数ならぬ身のほどこそあらはれめ。たまさかに這い渡りたまふついでを待つことにて、人わらへにはしたなきこといかにあらむ」と思ひ乱れても、また、さりとて、かかる所に生ひ出で、数まへられたまはざらむも、ひたすらにもえ恨み背かず。(松風P388)

 ここは、源氏から再三、京へ上るようにと便りを受けているが、なかなか思い切れない明石の君の心情を語っている場面である。明石の君は、Aと同様に、ここでも我が身を棒線aに示すように「数ならぬ身」としている。そして、高貴な身分の方でさえ、源氏からつれない扱いを受けて思い悩むと聞くのに、まして人の数に入らない自分は世間のもの笑いになり、姫君のお顔汚しになる。かといって、このような田舎で育つ姫君も、世間から人並みに扱ってもらえないのではと思うと、源氏からの上京の進めにも恨み背けない。

 ここでも、明石の君は、自分と光源氏との間の身分の違いを認識し、距離を置こうとしている。それが娘である姫君に及んでしまうことを意味し、作者は「数まふ」を使って、姫君の置かれた状況、立場を思いやる気持ちを語っている。

D.「かたはらいたきまで数まへのたまはすれば」の心情

 源氏「そこにこそ、すこしものの心得てものしたまふめるを、いとよし。睦びかはして、この御後見をも同じ心にてものしたまへ」など、忍びやかにのたまふ。明石の君「のたまはせねど、いとあり難き御毛色を見たてまつるままに、明け暮れの言ぐさに聞こえはべる。めざましきものになど、思しゆるさざらんに、かうまで御覧じ知るべきにもあらぬを、かたはらいたきまで数まへのたまはすれば、かへりてはまばゆくさへなむ。a数ならぬ身のさすがに消えぬは、世の聞き耳もいと苦しくつつましく思ひたまへらるるを、罪なきさまに、もて隠されたてまつりつつのみこそ」と聞こえたまへば~(若菜上P123)

 ここは、源氏の妻の一人として、すでに二条院に住んでいる明石の君と源氏との会話である。二人の娘である明石の姫君は、紫の上の養女になり、入内して明石女御となった。その女御の世話について、源氏は紫の上と心を合わせて勤めるようの明石の君に話している。明石の君は、これまでA,Cの傍線aと同様にここでも、自分をあくまでも傍線a「数ならぬ身」としながら、紫の上が自分を気恥ずかしくなるほど、一人前に扱って言葉をかけて、自分のいたらなさを庇ってくれる、その自分への対応を語っている。

 ここでの「数まふ」は、紫の上の自分に対する扱いを出して、明石の君と光源氏との距離がなくなったことを語っている。

 また、これまで列挙した本文A~Dは、明石の君と光源氏が対面し、契りを交わしてからの心情である。

 以上、列挙したA~Dは、明石の君自身が自分について「数まふ」を使っている箇所である。それぞれのA,C,Dの文中に施した傍線aに見られるように、明石の君は、自ら、その境遇、立場を「数ならぬ身」、という表現を使っている。「数ならぬ身」とは、「ものの数には入らない身」「取るに足りない身」ということである。Aでは神が加護する数には入らない身として、客観的に自分の立場を表わしている。この明石の君の自己認識は、『源氏』において一貫して変わることはない。そして、Bで明石の君の心情を如実に表している。「数ならぬ身」であるが故に、源氏が京に帰還し、自分と離れた今となっては、源氏は「数まふ」(人数に入れる)とおっしゃってくださるが、自分たちの将来にどうなっていくのか「心細き」(不安な気持ち)なのだとある。また、文Cにおいても、娘の姫君までもが、世間の人々から人並みに扱ってもらえない状態になることを思いやっている。

 作者が明石の君をこのように設定したのは、この一家にとって、「数ならぬ身」であるが故に、源氏だけが唯一頼れる望みであることに繋がってくる。

 ところが、明石の君は光源氏と契りを交わす前には、「数まふ」を使っていない。それが、次に挙げるEの部分である。

E.「人数にも思されざらんものゆゑ」の心情

 明石の君「いと口惜しき際の田舎人こそ、仮に下りたる人のうちとけ言につきて、さやうに軽らかに語らふわざをもすなれ、人数にも思されざらんものゆゑ、我はいみじきもの思ひを添へん。bかく及びなき心を思へる親たちも、世ごもりて過ぐす年月こそ、あいな頼みに行く末心にくく思ふらめ、なかなかなる心をや尽くさむ」と思ひて(明石の巻P243)

 ここは、光源氏と明石の君が対面する以前の場面である。光源氏は父入道に密かに娘を自分の元に来させることを持ちかけるが、本人はその気持ちがない。

 まるで取るにも足りない分際の田舎ものであれば、ほんの一時都から下ってきている人の気やすめな言葉につられて、そんな軽はずみな契りを結ぶこともあろうというものだが、「自分などたとえ結婚したとしても、人の数とも思っていただけないであろうのに」、こんなことになったらたいへんな苦労を背負い込むことになるであろう、と語っている。

 ここでは、先に挙げた文A~Dにあるような、「数ならぬ身」及び「数まふ」の表現が使われていない。しかし、ここでの「人数」は、明石の君が光源氏と結婚以降に使われている「数ならぬ身」の表現の意味する「ものの数ではない身」「取るに足りない身」と同様の意味を持たせている。「数ならぬ身」はあくまでも光源氏との結婚後の自分を言う表現なのである。したがって、まだ逢っていない光源氏に「数ならぬ身」をという言葉は使わず、「人数にも思されざらんもの」としたのである。作者は、明石の君が光源氏と契る前と後では、このような明確な言葉の使い分けをしているのがわかる。

 そして、この場面では、明石の君の気持ちの中に光源氏の庇護の数に入ろうという強い気持ちはない。まだ対面していない人物に対して「数まふ」は使われないのである。明石の君にとっては、まだ実感のないことゆえ、自分など人の数とも思っていただけないであろうと自覚しているのである。明石の君が自分の親たちのことを、傍線b「かく及びなき心を思へる親たち(こうして及びもつかない高望みをしている親たち)」と言っているのも、自分との気持ちのずれを表わしている。

 つまり、この作者の「人数にも思されざらんもの」(E)と「数ならぬ身」(A,C,D)という言葉の使い分けは、「数まふ」という語の使用の表現の有無によって、明石の君の置かれている状況と心情を端的に表わしているのである。

 一方、この使い分けは、明石の君の親たちについては見られない。次のFがそれである。

F.「ゆくりかにみせたてまつりて思し数まへざらん時」の心情

 親たちは、ここらの年ごろの祈りのかなふべきを思ひながら、ゆくりかにみせたてまつりて思し数まへざらん時、いかなる嘆きをかせんと思ひやるに、ゆゆしくて、めでたき人と聞こゆとも、つらういみじうもあるべきかな、目に見えぬ仏神を頼みたてまつりて、人の御心をも宿世をも知らでなど、うち返し思ひ乱れたり(明石P244)

 これは、先に挙げた文Eにおける明石の君の心情が語られた直後に書かれている。親たちとは明石の入道と明石の尼君である。ここでは、はっきりと「数まふ」という言葉が使われている。二人は長年の祈願がかないそうだとうれしく思いながらも、娘が「数まへざらん時」、つまり、不用意にお会わせして、もし人並みに扱ってくださらなかったらどんなに悲しい思いをするだろうと、神仏におすがりして思い悩んでいるとある。

 ここの「数まふ」は、親たちの長年の祈願である「どうにかして都の貴い方にさしあげようという深い決心」(いかにして都の尊き人に奉らんと思ふ心深きに。明石P235)が叶うかもしれないが、確実なものはない。その難しさを思い、不安があるにせよ、神仏に頼る他はないという明石一家の立場を表わしている。

 この時点での明石の君親子の思いの強弱の違いはある中で、結婚前か後かに関係なく、作者は、明石の君一家繁栄の願いと、その実現の手段という意味を「数まふ」という言葉に籠めて使っている。

 父入道の「どうにかして都の貴い方にさしあげようという深い決心」(明石P235)の実現には、源氏の「数に入ること」は不可欠であり、その相手である光源氏はただ一人の信頼する、頼れる存在なのであった。ここに、親たちの一貫して変わらぬ心情がわかるのである。

 作者が、明石の君の置かれる立場に対する自己認識を、一貫して「数ならぬ身」、ものの数にははいらない、とるに足りない身としているのは、次に続く「数まふ」の持つ重要性を強調し、明石の君の置かれた立場を明確にしていると言える。明石一家の繁栄が確実に実現可能なものになっていく上で、源氏の庇護の数に入ることは絶対必要なことであったのである。

 では、なぜ、明石一家に「親たちの長年の祈願」があったのか。これが光源氏とどう関わるのかについて考えるために、ここで、明石一家について触れておく。「若紫」巻(P276~9)で、明石の入道は、大臣家の家柄に生まれながら偏屈者として、自らの官位を捨て出家し、受領になっていることがわかる。母の明石の尼君も「松風」巻(P388)に中務宮(親王)の孫であることが書かれており、高貴な血筋であることがわかる。本来ならば、都の宮中近くに住まうべき貴族であるのに、辺境の地で暮らすことになる背景には、光源氏が流離してくるという物語の展開があるのだが、それ以前に明石一家が都に留まっていたならば、あるいは、明石一家に身分があったならば、娘の相手となる「尊い方」は光源氏ではなくても良かったことになるかもしれないからだ。明石という辺境の地で身分を捨てた元貴族であったからこそ、明石一家の再興という望みを娘に持ち、その相手として、光源氏ただ一人に託すことに限定されたと言える。

 また、光源氏の側からしても、後に明石の君との間に誕生する姫君が、光源氏の家の繁栄に大きく関与していくことになるのである。辺境の地にあっても光源氏が心引かれること、明石の君が明石一家の再興の望み託せるだけの教養ある女性として大切に養育され、かつ、明石の尼君の高貴な血筋を受け継いでいることが重要であった。

 「数まふ」は、このような明石一家の『源氏』における存在の意義を示唆しているのである。そして、この言葉は、その時々の心情や立場を表わしながら、明石一家と光源氏の家を繋ぐ役割があり、各々の家を繁栄に向かわせるという働きをさせている言葉なのである。

3.「数まふ」の使用とその使い分けに見る明石の君の立場の変化

 第一章では、「数まふ」の用例から明石の君と親たちの心情を検証した。次に、「数まふ」がどのような使われ方をしているかを検証する。

 なぜならば、「数まふ」の使われ方を見ると、いくつかの共通点と相違点があることがわかった。それらが示す意味を明らかにして、「数まふ」に籠めた作者の意図を更に明確にしたい。再び第一章において検証したA~D、Fの文を対象とする。次に列挙した通り、

A.(神が)神も見入れ数まへたまふべきにもあら(澪標P294・5)

B.(光源氏が)いと頼もしげに、数まへのたまふめれ(澪標P298)

C.(明石の姫君が)かかる所に生ひ出で、数まへられたまはざらむ(松風P388)

D.(紫の上が)かたはらいたきまで数まへのたまはすれば(若菜上P123)

F.(明石の君が)ゆくりかにみせたてまつりて思し数まへざらん時(明石P244)
         (地の文における親たちの言葉で、心情である)

 まず、A~Dを見ると、いずれも「数まふ」には「たまふ」「のたまふ」という尊敬を表わす敬語が接続している。これらは、すべて明石の君が自らの心情を直接述べている箇所である。それゆえ、明石の君の光源氏に対する敬意を表わしていることで共通している。

 しかし、更にA~Cは敬語の後に、傍線部分のように打消や逆説の意味で次に続いている。Dでは、そのような使い方はされていない。

 この相違点の意味するところを考えるために、これらのA~Dの言葉を明石の君がいつ語ったのかを見てみよう。A~Cでは明石の君は源氏と結婚するも、源氏は帰京し、自分は明石の地と、離れて暮らしている時期である。明石の君と光源氏の間には物理的な距離があるのと同時に、光源氏の妻として確実に「数まふ」が実現されている状態ではない。

 更に、親たちの心情であるFも、娘である明石の君が光源氏と結婚する前の言葉である。この「数まふ」はA・Cと同じく打消の助動詞が使われている。つまり、明石の君が光源氏と結婚する以前と二人が結婚したあとでも、その後二人の関係がどうなるのかわからない状態である時は、「数まふ」は、打消と逆説というを否定的なとらえ方の中で使われているのである。

 それに対しDの語りの部分は、明石の君は、光源氏が妻達の為に建てた京の二条東院にて暮らしている時期である。この時点での明石の君は、物語の進展によって、紫の上と同じく二条院に住む源氏の妻の一人として、確かな立場になっている。我が身が「数ならぬ身」であることを常に踏まえながらも、娘と共に都に上り、姫君の将来を思う源氏の言葉に従い、姫君を紫の上の養女にして、紫の上からも認められ、きちんとした対応を受けていることを光源氏に語っているのである。第一章で明らかにしたように、明石の君と光源氏との距離がなくなったことを表わす、「かたはらいたきまで数まへのたまはすれば」(D)一文のみ、打消や逆説の意味はない。肯定文になっている。

 作者は、明石の君と光源氏に物理的にも立場の上でも距離があることを、「数まふ」を含む文をすべて否定文にすることで共通させ、二人の距離がなくなった時点では、その必要はなく、明石の君に「数まふ」を肯定文で語らせることによって、その立場の違いを明確に表わしていると言える。

 このように「数まふ」には、その使い分けによって、明石の君のその時の立場や状況を表わす役割があったことが分かる。「数まふ」がどこで使われているか、そして「数まふ」がどのように使われているのか、その語の使われ方を見ていくことによっても、明石の君の置かれている立場の違いを読み取ることができるのである。

 作者は、明石の君一家の繁栄を実現させるための重要なキーワードとして「数まふ」という言葉を使っているのである。その実現の過程において、この「数まふ」を含む文の中で、使い分けすることによっても、「数まふ」という言葉を、特別な意味を持った言葉としているのである。

4.若紫の祖母尼君と六条御息所による「数まふ」

 次に、第一章において、例に挙げた第一部本伝系の「若紫」巻と「澪標」巻、

 「かならずかずまへさせたまへ。いみじう心細げに見たまへおくなん」(若紫P311)と
 「心細くてとまりたまはむを、必ず事にふれて数まへきこえたまへ」(澪標P300)

の二文について検証する。

 先に述べたように、これら二つの文は背景に、尼君と六条御息所の「死」という共通点がある。また、「心細し」という言葉も使われ、各々が孫と娘を光源氏に託すという類似する場面でもあるのである。物語の中で、尼君と六条御息所との接点はない。一見、何の共通点も無いように思われる登場人物達である。

 しかし、作者は、尼君と六条御息所の二人に、全く別の巻において、光源氏に対して非常に類似性のある表現を使って語らせている。

 更に、この二つの文を、前項二で明らかにしたような「数まふ」に続く語法を比較してみると

G.かずまへさせたまへ
H.数まへきこえたまへ

 となっており、一つは、「尊敬」+「尊敬」の最高敬語を使っていること。二つ目は、命令形で語らせていることも、共通していることがわかる。

 このような類似した場面設定と、同じ語法で使われている「数まふ」が、『源氏』の中で、どのような役割を持っているのかを明らかにしたい。

G.「かならずかずまへさせたまへ」の心情

 尼君「乱り心地は、いつともなくのみはべりが、限りのさまになりはべりて、いとかたじけなく立ち寄らせたまへるに、みづから聞こえさせぬこと。のたまはすることの筋、たまさかにも思しめしかはらぬやうはべらば、かくわりなき齢過ぎはべりて、かならずかずまへさせたまへ。いみじうc心細げに見たまへおくなん、願ひはべる道のほだし、思ひたまへられぬべき」など聞こえたまり。(若紫P311)

 ここは、若紫の祖母である尼君と光源氏との会話の部分である。若紫の身の上は、母はすでに亡くなっており、祖母の尼君によって養育されていた。病にかかって北山へ加持を受けに来た光源氏は、そこで若紫を見出す。光源氏は尼君に、若紫を、結婚を前提に引き取りたい旨を申し出ていたが、尼君は若紫がまだ幼く、そのようなふさわしい年齢ではないことを理由に、その申し出を幾度と断っていた。

 しかし、この場面では、尼君自身が病にかかり、死が近づくと、その後に残る若紫を案じている。波線cでは「心細げ見たまへおくなん」とあるように、若紫が自分の死によって一人この世に残る状態が、ひどく心細い有様で心残りであると言っている。若紫には、祖母である自分以外に頼りにできる身寄りがいなかった。自分の死を前にした祖母は、その若紫を、光源氏に対して若紫をかならず「かずまへさせたまへ」(人数にお加えください)と依頼している。 

 ここでの「数まふ」は、尼君の若紫がふさわしい年齢になった時に、きっと源氏の妻の中に加えてくださいという心情を語っている。

 つまり、これは、自分の死を前にした尼君の光源氏に向けての遺言なのでである。

H.「必ず事にふれて数まへきこえたまへ」の心情

 女もよろづにあはれに思して、斎宮の御ことをぞ聞こえたまふ。御息所c「心細くてとまりたまはむを、必ず事にふれて数まへきこえたまへ。また見ゆづる人もなく、たぐひなき御ありさまになむ。かひなき身ながらも、いましばし世の中を思ひのどむるほどは、とざまかうざまにものを思し知るまで見たてまつらむ、とこそ思ひたまへつれ」とても、消え入りつつ泣いたまふ。(澪標P300)

 ここは、六条御息所の死に近い場面である。かつては、源氏と恋愛関係にあった御息所は娘が斎宮となり、共に伊勢へ下っていたが、帰京し、病にかかっていた。自分の見舞いに訪れた光源氏に、自分の死後、斎宮が波線c「心細くてとまりたまはむ」とあるように、斎宮が心細い様子でこの世に一人残ることを語っている。六条御息所は娘斎宮の世話を光源氏の他に頼める後見人もない状態であった。そこで、娘斎宮の将来を光源氏に託し、「数まへきこえたまへ」(人並みに扱い申し上げてください)と言っている。ただし、このあと、六条御息所は「かけてさやうの世づいたる筋に思し寄るな」(澪標P301)(けっしてそのような好色がましい筋にお考えくださいますな)と付け加えている。

 ここでの「数まふ」は、六条御息所が娘、斎宮を光源氏の後見人として扱っていただいたいという心情を語っている。

 つまり、この「数まふ」は六条御息所の光源氏に向けての遺言である。

 このように、尼君、六条御息所と源氏とのそれぞれの会話を比べてみると、非常に類似していることがわかる。
一つ目は、自分達の死が近い場面である。
二つ目は、自分達の死後に肉親である若紫及び斎宮が、頼る人のいない様子になるのを「心細し」と表現して、この世に残ることを案じている。
三つ目は、そのような状況の若紫・斎宮をそれぞれが、光源氏に「数まふ」という言葉を使って遺言し、託している。

 以上の点から、作者が、ここにあげたG、Hの二つの場面に「数まふ」を使うに当たって、その背景や語法に類似性を持たせた理由は、共に「数まふ」に「遺言」の意味を持たせているからであると言える。

 作者は、尼君と六条御息所に源氏に遺言を残すという役割を与えた。そして、自分達の死後、心細く不安な境遇になる、幼い若紫と斎宮の将来を、光源氏を頼みとし、源氏の庇護下に置かれることを「数まふ」という言葉を使って遺言させている。

 ここでも、「数まふ」という言葉は、二人の人物の「遺言」の言葉として特別な意味を持つことになるのである。

5.『源氏』における「遺言」の持つ意味

 それでは、なぜ作者は、若紫と斎宮を源氏に託すのに、尼君と六条御息所の二人に「遺言」という形を使ったのか。それを考えるために、ここで、『源氏』の中心人物の一人で、光源氏を生んだ母である、桐壺更衣の入内の経緯を振り返ってみる。

 桐壺更衣の入内は、亡き父の遺言(イ)であったことが、桐壺の巻で明らかになっている。。桐壺更衣は生まれた時から、家の繁栄のために親が望みをかけていた人であったが、父の大納言が思いを果たす前に亡くなった。その意思を母北の方が受け継いでいる。遺言の内容は、更衣亡き後に母北の方によって、桐壺巻で語られている。

 生まれし時より、思ふ心ありし人にて、故大納言、いまはとなるまで、ただ、(イ)『この人の宮仕の本意、かならず遂げさせたてまつれ。我亡きかりぬとて、口惜しう思ひくづほるな』と、かへすがへす諫めおかれはべりしかば、はかばかしう後見思ふ人もなき交らひは、なかなかなるべきことと思ひたまへながら、dただかの遺言を違へじとばかりに、出だし立てはべりしを、~(桐壺P106)

 傍線部dに北の方は夫の遺言を、決して疎かにしてはいけないものとして、それを守り、実行したとある。そして、入内した桐壺更衣は、桐壺帝の格別な寵愛を受けて、その結果光源氏が誕生した。したがって、この遺言がなければ、桐壺更衣は入内することもなく、光源氏も誕生しなかったのである。遺言というものに非常に大きな役割を担わせている。

 次に、明石の君の場合はどのような手法を使っているのかを見てみる。明石の入道が娘について「どうにかして都の尊い方に差し上げようという深い決心」(明石P325)を持っていることについて、光源氏と供人との会話の中で次のように語られている。

 良清「けしうはあらず。容貌心ばせなどはべるなり。代々の国の司など、用意ことにして、さる心ばへ見すなれど、『わが身のかくいたづらに沈めるだにあるを。この人ひとりにこそあれ。思ふさまことなり。もし我に後れて、dその心ざし遂げず、この思ひおきつる宿世違はば、海に入りね』と、常に遺言しておきてはべるなる」と聞こゆれば、君もをかしと聞きたまふ。(若紫P277・278)

 この会話は「若紫」巻にあり、光源氏が北山で供人より明石の入道と娘の噂を聞いた場面である。物語中のこの時点では、光源氏と明石一家の直接的な関わりがまだ始まっていない。この噂話によると、明石の入道はただ一人の娘に特別な期待を持っており、傍線部d「もし望みがかなえられず、かねて定めておいた宿世にはずれたら、海に入ってしまいなさい」と、常に遺言して決めていると語られている。これは明石の入道の意思が「かの入道の遺言」(若紫P278)として、周知だったことを示している。この遺言が、明石の入道の口から直接語られていないのは、この後においても、明石の入道が桐壺更衣の父や尼君や六条御息所のように死を直前にしていないからであると考えることができる。

 明石の入道の意思が噂話の中で、遺言という言葉を使って語られたのは、将来、明石の君が、第一章で述べてきたような光源氏の数に入るべき重要な人物であることを示すためなのである。作者はこの段階で噂話しを利用した。そして、その会話の中で「遺言」という言葉を使って語らせることによって、その複線を引いているのだということができるのである。

 つまり、作者は、この二例のように、光源氏にとって、どうしても必要な人物が光源氏の数に入るように、「遺言」というものを効果的に使って物語を進行させているのである。

 この点を更に明確にするために、桐壺更衣と同様に、父に娘を入内させる意思のあった若紫の母である姫君の場合を挙げて比較する。

 「むすめただ一人はべりし。亡せてこの十余年にやなりはべりぬらん。故大納言、(ロ)内裏に奉らむなど、かしこういつきはべりしを、その本意のごとくもものしはべらで、過ぎはべりしかば、ただこの尼君ひとりもてあつかひはべりしほどに、いかなる人のしわざにか、兵部卿宮なむ、忍びて語らひつきたまへりけるを、もとの北の方、やむごとなくなどして、安からぬこと多くて、明け暮れものを思ひてなん、亡くなりはべりにし。もの思ひに病づくものと、目に近く見たまえし」など、申したまふ。(若紫P287)

 ここは、光源氏が僧都(若紫の祖母である尼君の兄)に、若紫の素性について尋ね、僧都が答えている場面である。僧都はその問いに、若紫の母である姫君と、姫君の父(僧都の妹(尼君)の夫である故大納言・若紫にとって祖父)はすでに亡くなっているが、傍線(ロ)にあるように、生前、父大納言は娘である姫君を「宮中にさしあげようなどと、たいそうだいじにしておりましたが、その願い通りにもことが、運びませんで、亡くなってしまいました」と答えている。

 桐壺更衣と姫君の場合を比べてみると、桐壺更衣の父、故大納言の意志(イ)と、若紫の母姫君に対する父、故大納言の意志(ロ)は、どちらも娘を宮中にあげようというものだった。

 しかし、その意志の実現のために、桐壺更衣の父、大納言は、自分が死んでも、その意志を貫くようにと「遺言」を残している。

 一方、姫君の父は、その意志が願い通り運ばないうちに、亡くなってしまい、その意思の実現のために「遺言」を残していない。その結果、姫君は宮中には上がらず、兵部卿宮との間に若紫をもうけることになるのである。

 つまり、作者は、物語の進行に必要な人物には、「遺言」を使い、そうでない人物には使っていないことがわかる。姫君が宮中に上がることは、作者の意図することではなかった。言うなれば、入内が実現してはいけない人物であったのである。

 若紫と斎宮の二人が光源氏の数に入ることの意味するところは、明石の君同様、物語にとって重要な部分を占めている。若紫はこの先、物語の中で源氏の元で成長し、紫の上として源氏の妻の役割を果たしていく重要な人物であるし、斎宮も桐壺帝と藤壺の皇子で、実は源氏と藤壺の子である冷泉帝の中宮となり、光源氏にとって大きく関わっていく人物であるからである。

 以上のことから、「遺言」によって入内した桐壺更衣と、明石の入道の「遺言」と言うべき固い決心によって結び合わされた明石の君同様に、若紫と斎宮も光源氏の数に入って『源氏』を進行させる必要があった。ゆえに、尼君と六条御息所が死に際する時に、光源氏に「遺言」させるという形をとったということがわかる。その「遺言」とは、「数まふ」なのである。

 「遺言」は、非常に重要なこととして実行される。その結果、若紫と斎宮は『源氏』の中で、大きな役割を担って行くことになる。この役割については、さらに検証し、後述するが、ここで「遺言」として使われた「数まふ」は、物語を次への展開へと進行させ、若紫と斎宮の『源氏』における、その後の役割を示唆していると言えるのである。

6.麗景殿女御を通して見る花散里の「数まふ」

 次は、第一部本伝系「須磨」巻において、1回使われている「数まふ」を検証する。この場面では花散里について考えることができるため、まず、花散里の人物と背景を「花散里」巻から捉える。

 麗景殿と聞こえしは、宮たちもおはせず、(ハ)院崩れさせたまひて後、いよいよあはれなる御ありさまを、ただこの大将殿の御心にもて隠されて、過ぐしたまふなるべし。御妹の三の君、(ニ)内裏にわたりにてはかなうほのめきたまひてなごりの、例の御心なれば、さすがに忘れもはてたまはず、わざとももてなしたまはぬに、人の御心をのみ尽くしはてたまふべかめ(花散里P145)

 ここに登場している麗景殿とは光源氏の父である桐壺帝の女御であった。傍線(ハ)のとおり、桐壺院の死後、麗景殿女御とその妹、三の君(花散里)は、源氏の庇護を頼りに暮らしていた。

 それは、光源氏が幼くして母の桐壺更衣を亡くし、不憫に思った桐壺帝が、「母君がいないことによってでも、かわいがっていただきたい」桐壺P114と、弘徽殿女御の部屋にまで息子、光源氏を連れて行ったとあることから、光源氏と麗景殿女御もそのような関わりであったと思われる。二人は亡き桐壺院を忍び、またその昔に思いをはせる間柄だった。光源氏はこの女御を訪れた後に、同じ邸に住む花散里のもとに立ち寄る。

 しかし、その関係はいたって薄いことが、傍線(ニ)「宮中あたりで、かりそめの逢瀬をもたれたご縁があって」でわかり、更に、「花散里」巻P149においても西面には、わざとなく忍びやかにうちふるまひてのぞきたまへるも、めずらし(このように西面には、改まってというふうではなく、人目にたたぬようにしておのぞきになられるのだが、女君にはおひさしぶりである)と、地の文に書かれているだけで、花散里自身の登場は少ない。これだけをみると、光源氏にとっても『源氏』においても、花散里の存在はあまり重要でないように思われる。

 はたして、その通りに考えて良いのであるのかを、「数まふ」が使われている、麗景殿女御と光源氏との会話から検証してみる。

I.「かく数まへたまひて、立ち寄らせたまへること」の心情

 花散里のd心細げに思して、常に聞こえたまふもこたわりにて、かの人もいま一たび見ずはつらしとや思はんと思せば、その夜はまた出でたまふものから、いとものうくて、いたう更かしておはしたれば、女御、(ヒ)「かく数まへたまひて、立ち寄らせたまへこと」と、よろこび聞こえたまふさま、書きつづけむもうるさし。いといみじうえe心細きありさま、ただこの御陰に隠れて過ぐいたまへる年月、いとど荒れまさらむほど思しやれて、殿の内いとかすかなり。(須磨P166)

 ここは、光源氏が須磨へ出立する前に、麗景殿女御の邸を訪れた場面である。花散里はこの邸の西面に住んでおり、源氏は麗景殿女御との対面の後に立ち寄っている。この時の女御の言葉は『「かく数まへたまひて、立ち寄らせたまへること」と、よろこび聞こえたまふさま』の一文だけである。この意味は、「こうして人数にお入れくださって、お立ち寄りいただきましたこと」と、お礼を申し上げる次第ということだが、この一文に麗景殿女御と花散里の心情が集約されている。このように考えられるのは、麗景殿女御の言葉の前後にみられる波線d「心細げに思して」波線e「心細き御有様」という、二人の心細い様子であることを繰り返す表現があうことから、麗景殿女御と花散里の暮らしぶりが不安で非常に頼りない有様であることを表現している。そして、いかに光源氏の庇護を頼りにしているかが窺える。光源氏の須磨退去の折には、ますます自分達の暮らしがどうなるのかが不安だった。そのような状態と心境の折に光源氏の訪問があったのは、安堵の思いと喜びは大きかったにちがいない。

 つまり、光源氏は都を去る前に、逢うべき大切な人々の数の中にこの二人を入れているのである。

 ここでの「数まふ」は光源氏の自分達への対応に対して、感謝しているという心情を表わしている。作者が花散里を前面に出していないのは、光源氏と花散里の縁が、この麗景殿女御と光源氏の縁からによるものであろうし、また、前面に出さないことによって花散里の人物設定をより効果的に表わす作者の手法とも言える。

 しかし、花散里がすでに光源氏の庇護する人の数に入っていることを、麗景殿女御の言葉によって、はっきり理解することができるのである。このことから今後、花散里が担う役割があることを示唆しているのである。

7.光源氏の「数まふ」の対応

 本稿三、で「尼君の光源氏への遺言」と「六条御息所の光源氏への遺言」について述べた。それでは次に、その「遺言」を受けた光源氏は、どのように「数まふ」を実行したのかを検証する。

(1)若紫の「数まふ」の実現

 尼君の死後、父の兵部卿宮が若紫を訪問した。心細い様子で泣く若紫の哀れさは、生前尼君が案じていた通りで、父は自分の元に若紫を引き取ろうとする。(若紫P322)

 しかし、これは作者の意図する物語の展開ではない。なぜならば、作者は、若紫を養育していた尼君に、父である兵部卿宮ではなく、光源氏に向けて「数まふ」ことを「遺言」させているからである。父が娘を引き取ろうとする事態を知った光源氏は、

かじかなど聞こゆれば、口惜しう思して、かの宮に渡りなば、わざと迎へ出でむも、すきずきしかるべし、幼き人を盗み出でたりと、もどき負ひなむ、その先に、しばし人にも口がためて、渡しけむ、と思して、「暁、かしこにものせむ。車の装束さながら、随身一人二人仰せきたれ」とのたまふ。(若紫P326)

と、このように、父の兵部卿宮に先んじて若紫を自邸へ引き取ってしまうのである。ここから、光源氏の元で生きていく紫の上の物語へと進展していく。

 このような方法によって、尼君の「遺言」であった「数まふ」は、光源氏によって実行されたのである。

(2)斎宮の「数まふ」における光源氏の受諾と実行

 では、六条御息所の娘、斎宮の場合はどうであろうか。次ぎに挙げる文は、「澪標」巻に2回使われる「数まふ」である。これらは、六条御息所が「遺言」として「数まふ」を述べた後、光源氏がその返答と対応に「数まふ」を使っている。

J.「上の同じ御子たちの中に数まへきこえしかば」の心情

 源氏「かかる御遺言の列に思しけるも、いとどあはれになむ。(あ)故院の御子たちあまたものしたまへど、親しく睦び思ほすもをさをさなきを、上の同じ御子たちの中に数まへきこえしかば、(ウ)さこそは頼みきこえはべらめ。すこし大人しきほどになりぬる齢ながら、あつかふ人もなければ、さうざうしきを」など聞こえて、帰りたまひぬ。(澪標P303)

 ここは、六条御息所の遺言に対する光源氏の返答の場面である。傍線(あ)の故院とは桐壺院のことである。六条御息所は先の東宮の妻であったので、桐壺院にとっては亡兄弟の妻にあたる。ここで、光源氏は、故桐壺院が生前、斎宮をどのように扱うべきかを明らかにしているのだが、作者は「葵」巻でも桐壺院に次のよう語らせている。

 斎宮をもこの皇女たちの列になむ思へば、いづ方につけてもおろかならざらむこそよからめ。(葵P12)

 ここで桐壺院は、「斎宮を自分の皇女たちと同列に思っているので、いずれにしても、粗略にせぬほうがよかろう」と言っている。桐壺院の意向は皇女たちと「列になむ思へば」と表現しているのである。

 しかし、作者は光源氏に、この部分をJ「数まへきこえしかば」と言い換えさせているのである。なぜ、作者は、このような言い換えをしたのであろうか。「列になむ思へば」を「数まへきこえしかば」と言い換えさせたのは、どのような意味を持つのか。それを考察すると、次に挙げることが明らかになった。

 それは、光源氏が桐壺院の意向を引き合いに出し、自分は傍線(ウ)その意向に従うと言って、「数まふ」が桐壺院の行為であるように表現しているが、実は「数まふ」という言葉に置き換えることで、自分の意志も含ませているのである。父である故桐壺院の意志を尊重しながら六条御息所の遺言を受けて、斎宮を自分の後見人として数に入れるという心情を語っている。

 つまり、ここでの「数まふ」は、光源氏の六条御息所の「遺言」に対する受諾の意味を表わしている。斎宮の存在が光源氏自身にとって、より強い関わりになるという意味を持たせるために、「数まふ」を使って表現しているのである。斎宮の待遇については、すでに、故桐壺院によって、「葵」巻に示されているのだから明らかであるが、その桐壺院の死後、六条御息所は光源氏に斎宮を託した。それを受けて、作者は光源氏に「数まふ」という言葉を使わせて表現することによって、この「数まふ」が六条御息所の「遺言」の受諾を意味し、光源氏と斎宮の関係において、新たに直接的な関わりが生まれたことを示しているのである。

K.「さらば、御気色ありて、数まへさせたまはば」の心情

 藤壺「いとよう思し寄りけるを。(エ)院にも思さむことは、げにかたじけなう、いとほしかるべけれど、(オ)かの御遺言をかこちて知らず顔に参らせたてまつりたあまへかし。今はた、さやうの事わざとも思しとどめず、御行ひがちになりたまひて、かう聞こえたまふを、深うしも思し咎めじと思ひたまふる」

 源氏「さらば御気色ありて数まへさせたまはば、もよほしばかりの言を添ふるになしはべらむ。とざまかうざまに思ひたまへ残すことなきに、かくまでさばかりの心構へもまねびはべるに、世人やいかにとこそ、憚りはべれ」など聞こえたまて、後には、げに知らぬやうにてここに渡したてまつりてむ、と思す。(澪標P310)

 ここは、光源氏と故桐壺院の中宮であった藤壺との会話の場面である。光源氏が六条御息所の遺言を受諾した後、六条御息所の娘であり、自分が後見人となった斎宮の入内を計るために、藤壺に相談を持ちかけている。藤壺の言うところの棒線(エ)の院とは、朱雀院である。藤壺は朱雀院が斎宮を所望していることを語るが、傍線(オ)「六条御息所の遺言を理由にして、朱雀院の意には全く気づかなかったということにして、入内させなさいませ」と、進言している。

 それに対し、光源氏はその進言から、藤壺が今上(桐壺帝と藤壺の子である冷泉帝)に入内の意向があるということを確認し、「斎宮を冷泉帝の妻の人数に加えてくださるならば、自分は斎宮にその旨の口添えをする」と話している。

 注釈によると、《ここで「数まふ」(一人前の扱いをする)としたのは、自分の養女としての意識からの発言》とある。しかし、「数まふ」を一人前の扱いをするという意味で捉えるより、「数に入れる」と考えた方が適切であると考える。

 なぜならば、斎宮の父は前坊(東宮の地位にありながら、帝として即位する前に亡くなった)であるから、斎宮は天皇家の血筋である。先にも述べたように、生前の桐壺帝は斎宮の待遇を自分の皇女達と同様に扱うようにとしていた。また、朱雀院からも望まれているほどの女性なのである。ただ、父、先坊や擁護する桐壺院が亡くなったために後見人がなく、心細くなることについて、母が光源氏に遺言し、それを受諾したのである。このような女性が自分の養女なったという意識で、一人前の扱いをするという意味で「数まふ」を使ったと捉えるのは不適切と思われる。光源氏が六条御息所に向けて言った「上の同じ御子たちの中に数まへきこえしかば」での「数まふ」が、六条御息所の遺言を受諾するという自分の意志を表わし、光源氏と斎宮の関係において、新たに直接的な係わりが生まれたことを示していると述べたとおり、光源氏には斎宮に対して自分の非後見人、養女としての意識はあったにちがいない。そのような斎宮に対する以前とは違う意識、斎宮の存在が自分の一門であるという意識によって、藤壺に斎宮の将来を相談している。そうであるから、帝へ入内する女性の中に加えてくださるならばと依頼しているのである。

 ここでの「数まふ」は、今上への入内を意味していることから、受諾した六条御息所の遺言の実行である。斎宮は母、六条御息所の遺言の中の「数まふ」によって、すでに源氏の世話を受ける女性たちの数に入っている。光源氏が自分の養女として、次ぎにすべき事は斎宮の身の振り方である。光源氏は斎宮を朱雀院ではなく、桐壺帝と藤壺の子、実は光源氏と藤壺の子である冷泉帝に入内させる事を考え、藤壺に相談を持ちかけた。(源氏は幼い冷泉帝の後見人にもなっている。葵P11)その意に藤壺の賛同を得て、斎宮の入内を「数まふ」としたのである。これによって、六条御息所の遺言は最良な形で遂行されることになる。

 作者は、斎宮に二度の「数まふ」を使った。一度目は光源氏の数に入る事で、二度目は実の息子である冷泉帝の数に入る事に対してである。これは、六条御息所の遺言の受諾と実行の意味を持たせている。そして、光源氏と斎宮の関係においても、斎宮がより重要な女性の一人として存在することを示しているのである。

(3)明石の姫君をめぐる依頼

 「なほこの門ひろげさせたまひて、
    はべらずなりなむ後にも数まへさせたまへ」の心情

 源氏「今は、いかでのどやかに、生ける世の限り、思ふこと残さず、後の世の勤めも心まかせて籠りゐなむと思ひ出にしつべきふしのはべらぬこそ、さすがに口惜しうはべりぬべけれ、数ならぬ幼き人のはべる、生ひ先いと待ち遠なりや。かたじけなくとも、(オ)なほこの門ひろげさせたまひて、はべらずなりなむ後にも数まへさせたまへ」など聞こえたまふ。(薄雲P451)

 ここは、光源氏と斎宮の女御との会話の部分である。斎宮の女御とは、六条御息所の娘、前斎宮である。前項(一)で述べたように、藤壺と光源氏の間によって計られ、冷泉帝の女御になっている。二重線「数ならぬ幼き人」とは自分の娘、明石の姫君のことである。ここで明石の姫君を「数ならぬ幼き人」と表現したのは、本稿一において述べたように、母、明石の君が一貫して自分の立場を「数ならぬ身」としていることを受けて、その娘をこのように表現していると考えられる。光源氏にはこのような人数にも入らない幼い人がいて、成人するまでが待ち遠しいと話している。そして、斎宮の女御(後の秋好中宮))に傍線(オ)の「この門ひろげさせたまひて」と光源氏の一門の繁栄を期待し、この望みを自分の死後も明石の姫君が入内できるように世話して欲しいと言っている。

 ここでの「数まふ」は、光源氏一門の更なる繁栄のために、実の娘である明石の姫君の将来について、斎宮の女御を頼みにしているという心情を語っている。

 つまり、この「数まふ」は、依頼の意味を表わしているのである。

 これらを見ると、本論六(二)、(三)の検証で明らかになっているポイントは、光源氏が斎宮及び明石の姫君の「入内」について語っているという点である。作者は、光源氏が使うここでの「数まふ」に、非後見人の斎宮と娘明石の姫君を、それぞれ入内という行為に向かわせることで共通させている。

 ここでも「数まふ」は、光源氏の「依頼」によって、明石の姫君を将来、帝の女御となり、春宮の母という最高の位に導くことになる言葉として、重要な意味を持たせた言葉になっている。

8.源氏の復権

 次に挙げる「朝顔」巻の「数まふ」は、これまで検証してきた「数まふ」の用例とは異なり、『源氏』おいて唯一、光源氏が自分自身について語る部分に使われているものである。

N.「朝廷に数まへられたてまつりては」の心情

 かしこくも古りたまへるかなと思へど、うちかしこまりて、源氏「(カ)院崩れたまひて後は、さまざまにつけて、同じ世のやうにもはべらず。(キ)おぼえぬ罪に当たりはべりしを、たまたま朝廷に数まへられたてまつりては、またとり乱り暇なくなどして、年ごろも、参りていにしへの御物語をだに聞こえ承けらぬを、いぶせく思ひたまへわたりつつなむ」など聞こえたまふ。(朝顔P460)

 ここは、光源氏と光源氏の正妻、故葵の上の母である大宮の姉妹で、故桐壺院の姉妹でもある、女五の宮との会話の部分である。傍線(カ)の院とは桐壺院のことで、院崩御後の世の変わり様を嘆いている。傍線(キ)は、光源氏自身が敵対する右大臣家の弘徽殿大后の妹である朧月夜との関係が、発覚したことによる政界からの失脚の危機を言う。これが原因で自ら須磨へ退去していた光源氏であるが、今は朝廷から許されて政界へ復帰し、暇もなく忙しくしていることを話している。

 ここでの「数まふ」は、「朝廷から人数に加えていただくこと」によって、源氏の立場は良くなり、自分の思うことが自由にできるようになったという心情を語っている。

 つまり、ここの「数まふ」は、権力が復活したという光源氏の復権を意味しているのである。

 なぜ作者は『源氏』に登場する女性たちに限らず、物語の主人公である光源氏自身にも「数まふ」を使ったのだろうか。光源氏自身に唯一使われている「数まふ」は、一度は追われた政界での地位と実権を取り戻した意味で使われ、光源氏自身の状況の変化を表わしている。それと同時に、光源氏自身にとって欠かすことのできない言葉なのである

 なぜならば、光源氏が物語において、その栄華を極めるために、「復権」はなくてはならない事だった。作者は光源氏に「数まふ」という言葉を、会話文の中でさりげなく語らせているが、この言葉の背景にある意味は大きい。「復権」があったからこそ、女性たちの「数まふ」が実現し、『源氏』において機能していくのである。光源氏の「数まふ」は、彼を取り巻く女性達以上に光源氏自身の根底になくてはならない、重要な意味を持たせた言葉なのである。

9.「数まふ」からみる「澪標」巻の意義

 これまで、本稿「はじめに」において示した「数まふ」の調査の一覧表から、『源氏』第一部本伝系一一箇所と第二部一箇所に使われている「数まふ」の意味するところを検証してきた。

 更に、この表から巻毎に「数まふ」という言葉の使用頻度をみると、「澪標」巻に五回と、集中していることがわかる。

 なぜ、「澪標」巻に多いのかを考察するために、この巻がどのような巻であるかについて、年立から内容を明らかにし、この意味するところを明らかにしたい。

 「澪標」巻は、この年立で見ると、その前巻である「明石」巻で、朱雀帝により京への召還を受けた光源氏が、帰京後まもなく政界に復帰し、都から退去する以前の生活に戻ったところから物語がなる。言うなれば光源氏自身の状況と立場が大きく変わる変換の巻である。

 この巻の要点を挙げると、物語では朱雀帝が譲位し、冷泉帝が即位する。光源氏自身も内大臣に昇進し、東宮の世話もする程の立場になる。明石では、娘である明石の姫君が誕生し、養育のために乳母を派遣する。六条御息所が娘、前斎宮を光源氏に託す遺言を残して死去する。光源氏と藤壺は、前斎宮の入内を考える、などである。勿論、これらの話しの間に、紫の上や花散里も登場している。

 これらを見ると、光源氏の復権に伴って、光源氏の繁栄に関わるごく身近な人物達、つまり、それは冷泉帝や明石の姫君という光源氏の血縁と、後に光源氏が自分の妻達のために建設する「六条院」に住むことになる女性達である。これらの人物がすべて集結し、登場している巻であることがわかる。

 更に、「数まふ」という言葉を調査する対象の巻の中でも、最も「数まふ」が多く使われるこの巻の中で、それが、どの人物に対して使われているのかということに着目すると、本稿中のH、J、Kにみる六条御息所の娘、斎宮に対してである。光源氏の実の息子である冷泉帝の御代を背景にして、光源氏の栄華の兆しを大いに垣間見ることのできるこの巻において、この人物は、光源氏との血縁関係はない。

 しかし、作者は、光源氏にとって、妻でも実の娘でもない斎宮に3回の「数まふ」を使っているのである。このことが、「澪標」巻において、何を示唆しているのか。

 斎宮は母、六条御息所の死後、その「遺言」によって、光源氏を後見人として、光源氏の実の息子である冷泉帝の妻になるという物語の流れをみると、それは、明らかに光源氏と血縁関係のない斎宮が光源氏の血縁に入っているということが言えるのである。

 作者は、これまで検証してきたような「数まふ」という言葉を使って、段階を踏みながらそれを実現したのである。天皇家の血筋である斎宮(父は先坊)を、光源氏と藤壺を介して冷泉帝の中宮とすることで、光源氏一門の繁栄を盤石なものとした。「澪標」巻という光源氏の権勢が盛り返す、変換の巻であるからこそ、このような展開をもたらすことが可能になったのである。

 また、それが、光源氏の繁栄に関わるごく身近な人物達が集結する、この「澪標」巻でなければならなかったと考えることができるのである。

 以上が、「澪標」巻に「数まふ」が多く使われた理由であると考え、物語における「数まふ」の担う役割が明確に示されているのが、「澪標」巻であると言うことができるのである。

10.『源氏』における「数まふ」の示唆するところ

 作者が「数まふ」という言葉を使った対象になる人物たちは、明石の君、若紫、斎宮、花散里であり、光源氏自身と明石の姫君である。これまで、本稿「はじめに」において示した「数まふ」の調査の一覧表から、『源氏』第一部本伝系一一箇所と第二部一箇所に使われている「数まふ」の用例を挙げて、その心情からと、語法による使い分けがあることから、その意味するところを検証してきた。

 また、「数まふ」という言葉を視点にして、その用例が多く使われている「澪標」巻の『源氏』中におけるその意義も考察してきた。

 それらによって、明らかになったのは、作者が、物語の中で「数まふ」という言葉をさりげなく、かつ巧みに使い、この言葉に様々な重要な意味を持たせ、その言葉の果たすべき役割によって物語を進展させているということである。

 具体的には、明石の君一家の「数まふ」は、明石の姫君を含め、明石一家の存在の意義を指し示している。尼君と六条御息所によって使われる「数まふ」は「遺言」として使われる。花散里の「数まふ」は感謝の気持ちを示すことによって、すでに光源氏の数に加えられていることを確認している。光源氏が、これらの「数まふ」を受け入れることによって、女性たちは「心細い」立場から脱却していくのである。

 『源氏』の中で、ここに挙げた明石の君、若紫(紫の上)、斎宮、花散里は何れも光源氏の庇護下の置かれる女性たちの中でも、とりわけ大変重要な役割を担う登場人物である。

 つまり、明石の君は源氏の実子である姫君を生み、姫君はやがて明石の女御として入内する。若紫は光源氏の元で成長し、紫の上と称し、光源氏の正妻格として、光源氏の実子、すなわち明石の姫君や六条御息所の娘斎宮(秋好中宮)を養女として、その母代わりとなる。花散里は、光源氏の正妻であった亡葵の上が生んだ夕霧の後見人となり、その子達をも育てる。そして、養女となった斎宮は、桐壺帝と藤壺の子、実は光源氏と藤壺との子である冷泉帝の元に入内し、秋好中宮となる。明石の姫君も光源氏と紫の上の娘として入内し、女御からやがて明石中宮となり、春宮の母となる。

 このことから「数まふ」という言葉が共通して使われている女性たちは、皆、光源氏と結婚して実子を産むか(明石の君)、実子を養育するか(紫の上・花散里)、あるいは実子(冷泉帝)の妻(斎宮)になるか、実子(明石の君)として一門の繁栄に繋がるかの結果に至っている。

 ここに非常に重要な事柄が見えてくる。それは、明石の君、若紫、斎宮、花散里が皆、光源氏の直系の血筋に関わっているということが、明確になっているということである。

 作者は、このように光源氏の直系の血筋に関わる女性のみに「数まふ」という表現を使って、これらの女性たちが、一門の繁栄に関わる存在である事を示唆した。作者が、これらの女性たちに使った「数まふ」は、単に「数に入れる・人並みに扱う」という意味に留まらない。その先に、彼女たちが光源氏の血筋に関わっていくという、果たすべき重要な役割があることを示唆し、物語の進行と展開を左右する言葉となっているのである。

おわりに

 以上、本稿において検証した明石の君、若紫(紫の上)、斎宮、花散里に使われる「数まふ」という言葉は、彼女たちが光源氏直系の血筋に関わるという、特別な存在であることを示唆していることが明らかになった。これらの女性たちは、光源氏の栄華と繁栄をもたらすために必要不可欠であり、物語の中に登場する他の女性たちとは、この点において存在する意義を異にしている。

 そして、この女性たちは、後に光源氏が女性たちのために建設する「六条院」(少女P72)に、光源氏と居を共にすることになる。「六条院」は光源氏が特に愛した女性たちという観点だけではなく、光源氏の血に関わる女性たちが一同に住まう場所だったのである。その中心にいるのが光源氏である。

 作者の「数まふ」という言葉によって導かれた女性たちの役割が果たされて、光源氏一門の栄華が存続していくためには、光源氏が確固たる地位と権力を持つ立場の中にいてこそ、思うように可能になった。これが、光源氏自身にも「数まふ」という表現が必要であった理由である。

 私には、「数まふ」という言葉の先にあるものが、光源氏世界の象徴のような「六条院」という場所に集結しているように思われてならない。作者がそのような意図を持って、「数まふ」を使ったとすれば、壮大な物語の構想の中で、緻密な計算がされていたことが推察される。

 本稿を書くにあたり、導いた結論に至る課程で、他にも注目すべき女性たちが存在することに気づいた。それらの女性たちや、また、度々使われる「心細し」「心細げ」という言葉との関わりなども、今後検証し、光源氏の世界を探求していきたいと考える。

 本稿を書くにあたり、『源氏』という作品を前にして、これまでは、ただ、この物語の「あらすじ」を追っていただけであった自分を痛感した。それはまるで、物語を読んでいるのに、本当のところは見えていないといった具合に、表面をなぞっているようなものだったと思う。それでも『源氏』は面白いと思ってきた。良くできた物語だとも思ってきた。こんな物語が千年以上も前に書かれて、受け継がれてきた日本の文化に、今さらながら、畏敬の念と愛着を感じるのである。

 そんな自分であったので、作者が語りかけているものが見えてくるのだろうか。はたして、「論」ずべきものが書けるのであろうかという、一抹の不安の中からの出発であった。当然、以前とは違う読み方が必要になった。初めて「作者の意図」というものを意識して読み、本文だけを頼りに読むうちに、「古文」という、現代語とは違う日本語に対する興味も加わった。やっと、『源氏』という世界の入り口に立てたような気がする。いつしか「求めよ さらば与えられん」というイエス・キリストの言葉が真実であるかのように感じられてくるのである。

 なぜならば、「澪標」巻の六条御息所が光源氏に娘を託す遺言の場面を読んでいるときに、「前にもどこかで同じものを読んだ気がする」「なぜ・・・」と思ったのは、私にとっての啓示のようなものだったのかもしれないからだ。

 以前は『源氏』に対して、何も持っていなかった自分ではあるが、『源氏』と仲良くなろうと思いながら、こうして本稿を書くことができたのは、まるで「無」から「有」を生み出すことにも似て、不思議な感覚の中に、喜びを禁じ得ない。

 また、読むことに対する更なる面白さを感じ、『源氏』の魅力の一端を知ることができた。このような機会に恵まれたことに感謝し、まだまだ隠された作者の意図を推察しながら、対話し続けることができたら幸いである。

 

「心細し」「心細げ」が使われる巻と回数
 「源氏物語」一部33帖
  紫の上系(本伝系)17帖         玉鬘系(別伝系)16帖
   桐壺    3             帚木    3
   若紫    5             夕顔    5
   紅葉賀   1             蓬生    4
   葵     7             行幸    1
   賢木    2
   花散里   1
   須磨    6
   明石    3
   澪標    8
   松風    1
   薄雲    1
   朝顔    2
   少女    1
第 二 部
   若菜上   5
   若菜下   4
   柏木    1
   蓬生    4

○「心細し」の表現が使われている光源氏に係わる主な人物

  • 桐壺更衣
  • 末摘花
  • 母北の方
  • 藤壺の宮
  • 花散里 
  • 尼君
  • 紫の上
  • 女三の宮
  • 大后
  • 葵の上
  • 夕顔
  • 明石の入道
  • 六条御息所
  • 空蝉
  • 斎宮 
  • 朧月夜 
  • 明石の君 
  • 朱雀院

○「心細し」の表現が使われていない源氏に係わる主な人物

  • 朝顔の姫君
  • 桐壺帝
  • 玉鬘
  • 頭の中将
  • 源典侍
  • 惟光

○「心細し」の表現が光源氏自身に使われている箇所がある

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